五反田棒の手保存会
五反田棒の手保存会は愛知県民族無形文化財に指定されている「五反田鎌田流棒の手」を後世へ伝承する為の会です。
棒の手とは、二人一組で棒や太刀、鎌、槍、薙刀などを使って組み手を見せる民族芸のことでです。
棒の手の始まりは戦乱の時代に大名は農民を集めて足軽として戦わせました。その後足軽は度重なる戦いのなかで身を守るため武術を身に付けたのが「棒の手」の始まりと言われています。
やがて戦乱の時代が終わり、江戸時代になると棒の手は献馬(おまんと)の警護隊として武術を神社、仏閣へ奉納する演技へと変化しました。
幕府から、尾張の熱田神宮、守山の竜泉寺、三河の猿投神社が奉納を許され、全国でも珍しい農民武芸が伝わっています。
五反田棒の手は豊田市宮口町から伝承され、昭和36年3月に愛知県民族無形文化財に指定され各地のお祭り、イベントで披露しています。
五反田の棒の手は毎年地元の秋大祭で神社に奉納しています。
五反田棒の手の足跡
五反田鎌田流棒の手目録授与
12月1日(日)に五反田鎌田流棒の手の目録が授与されました。
目録の授与は、明治から8回行われており今回9回目となる目録授与が28年ぶりに行われました。
15名の若者が先輩免許者から指南を受け12月1日に五反田八幡神社にて五反田棒の手保存会長から目録を授与されました。授与された者は今後も精進し、後世に棒の手を指南し継承していくことを誓いました。
戦前までは、足助八幡宮の例祭に献馬とその警固をするため棒の手を習得し、足助八幡宮の神社に奉納する集落が多くありました。
現在、愛知県無形民俗文化財に指定(昭和36年3月30日)されている見当流の近岡、起倒流の富岡、鎌田流の五反田の他、沢ノ堂・大野(野林)・田振・山ヶ谷・綾渡・八桑(新盛)・大蔵・白山・連谷などで行われていました。なお五反田、連谷の棒の手は、氏神の八幡神社に奉納するためのものでした。
五反田鎌田流棒の手が伝承されたのは、明治期になってからで五反田の記録によると次のように各地から伝えられました。
明治16年(1883年)万町町
明治20年(1887年)田振町
明治23年(1890年)宮口町(総家)
明治(年代不明) 沢ノ堂町
このように各地から伝えられたのは、宮口町の総家から目録を授与されるため、宮口に行く前に各地の鎌田流棒の手の免許者から指南を受けたためと思われる。
(令和元年12月1日)
ラグビーワールドカップ2019TM
HO!MOTENASHI
ラグビーワールドカップ2019TMの開催時におもてなしイベントが市内各所で実施されました。
豊田市棒の手保存会も駅東口まちなか広場で各国からのお客様におもてなし演技を披露しました。
五反田棒の手保存会も10月5日に行われた、日本vsサモア戦のおもてなし演技を披露しました。
香嵐渓もみじまつり
平成30年11月25日(日)に「香嵐渓もみじまつり」にて棒の手の演技を披露しました。
当日は豊田市内の棒の手保存会から110名が参加し、香嵐渓に来られた観光客に迫力のある演技を見ていただきました。
五反田のこども達も元気よく演技を披露しました。
(平成30年11月25日)
いなかとまちの文化祭
平成30年11月24日(土)にB館T-FACE1Fシティプラザ・豊田市駅西口 ペデストリアンデッキで「いなかとまちの文化祭」がかいさいされました。私たち五反田棒の手保存会も参加させていただき、五反田のお囃子と棒の手を披露しました。
(平成30年11月24日)
豊田市こども棒の手演技大会
平成30年11月18日(日)に豊田市猿投棒の手ふれあい広場で旧豊田市保存会に足助町、旭町、藤岡町地区の棒の手保存会が加入10年を記念し、こども達の演技「豊田市こども棒の手演技大会」が、みよし市、安城市、西尾市、設楽町の保存会を招いて開催されました。
参加者は総勢650名ほどが参加し、秋晴れの下「エイ」「ヤー」と掛け声を上げながら演技を披露しました。
五反田棒の手保存会のこども達も日頃練習した演技を披露しました。
(平成30年11月18日)
足助例大祭参加
今年も足助例大祭に参加しました。
神殿に拝礼の後、境内にある「棒の手」の碑の前で代表棒を奉納しました。
火縄銃の音が響く中、棒の手の演技を奉納しました。
子どもたちも火縄銃の音に負けず元気な声で演技奉納ができました。
(平成30年10月14日)